エッチな表紙のラノベ問題についての雑感

 ついったをにぎわせている「本屋にめちゃくちゃエッチな表紙の本が(全年齢対象ではあるんだけれども)並んでいて、決してエロ本って訳じゃないんですけど子供が見ちゃったりするとしんどい思いをするかもしれないし発育上良くないかもしれないし自分自身も結構エロ本とかって不快感あるんですけどそれは置いとくとしても内容がそんなにエロくない話なのに表紙に巨乳なお姉さんの絵を描くって読者のちんこを釣り上げてる編集者の醜い思惑が透けて見えるから自分としては止めて欲しいんですけどそれってどうなんですかね問題」に、図らずも首を突っ込んでしまった。

 首を突っ込んでしまった、というのは、本当に正直なところ、そういう本が並んでいるという「現象」それ自体に対する個人的な気持ちを答えるなら「どーでもいい」だからである。僕もラノベとか昔読んでたし、エロ本にもお世話になるし。

 けれどもそう言った現象が内包している「問題」じたいは社会の全成員にコミットメントを迫るもので、無関心でいること自体が罪とされてしまうような問題ではある。僕自身、最近フェミニズムとかに凄い興味があったので、「問題」としては気になるものではあった。

 でもきっかけになったのは、

「前提⑴:表現の自由は何にもまして担保されねばならない

 前提⑵:エッチな表紙の本の規制は、表現の自由を侵害するものである

 結論 :エッチな表紙の本の規制は、これを絶対に認めない」

 という論証で応答している人を見かけたからで。

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 ワイがキレちまったのは、主に二つの面からである。

①結論が正しかったとしても有効な反論になっていない(規制の話をしている訳ではないから)

②前提⑴が間違っている

 まあ実際には、上の論法で話をしている奴の態度がデカかったというのが一番の理由んですが。

 しかし実際にこの問題に応答している人を見ると、どうやら①でも②でもなく

③前提⑵が間違っている

という主張の人が多いみたいである。いわく、きわどい作品はゾーニング(R-18コーナーに放り込むこと。男子高校生が困る)するとよい。それで表現の自由を担保しつつ、該当書籍の有害性を軽減できる。

 

 確かに、それはそれでとても合理的な選択だと思う。施策としては最も実現が容易なものであろう。しかし、表現の自由というのはそれで担保されるのか? というのは大きな疑問だ。表現の自由に関して話をすると、違憲審査基準とか二重の基準論とかいうワードが頭に浮かぶが、これについては門外漢なので言わない。しかし、場所を区切った一部区画でのみ表現を認めるというのは、実は立法に際してかなりハードルが高い行為なんではないか(例:お前の言説は反社会だから街頭で演説するのは認めん、家の中でなら許可してやる)。ゾーニングの対象および範囲と、ゾーニングによって防止が見込める社会的影響との間に、かなり密接で明白な関係が無くてはならない。

 ではゾーニングすることの動機は何かというと、これも大変怪しい物だ。R-18の暖簾によって販売区域を区切るという行為は、18歳以上の人間に自己管理能力・判断能力と責任を期待する行為である。しかし人間の加齢と責任能力に明確な因果関係を証明することは本来とても難しい。ある意味総合判断的な解決として、後付けで「エロコンテンツを見る”責任”とは、18歳以上の成人に発生するものである」と定義づけているに過ぎない。

 それはそれで良い。しかしゲームのCERO規定にしたってR-18以外はあくまで「やらないことを推奨する」ものでしかなく、また実際エロサイトを見る場合に出る「18歳以上ですか?」というメッセージも、たとえ3歳児にだって「はい」を押してコンテンツを閲覧することは可能なのだ。この場合、ある意味「『はい』を押す」という行為と引き換えに責任が発生しているのだと考えられようが、しかしそれで良いのか。ゾーニング主義者の守りたいものはそんなもので守れるのか。

 

ちょっと怪しいんじゃないか?

 

 性欲を、性的搾取の醜悪な部分を開き直って認めるのではなく、現時点では撲滅できないまでもせめて秘すというのは、立派な行為だ。理念としてもこれに優るものは無い。しかし、ゾーニングは本当にそれに当たる試みなのか?一歩間違ったら「臭い物に蓋」になってしまうのではないか。

 

 もう一つの問題点は、現在ある種の創作物に対しては明確な基準を以てゾーニングを行うことが社会的に是認されているということだ。「めちゃくちゃエッチな表紙のラノベ」を新たにゾーニング対象に加えるということは、二重の問題を含むように思われる。

 一つは、現在の基準を拡張することへの妥当性。

 もう一つは、それが成功したとしても社会的な性の構造の在り方には変化が無いということ。

 

 やっぱり、難しいことを百も承知で②前提⑴が間違っている という作戦軸で攻めた方が良いのではないか。表現の自由VSそれ以外の物(プライヴァシー、宗教的文脈、人間の尊厳etc……)という構図は戦略としては目新しさのないものではあるが、②の主張自体は社会一般に広く受け入れられているものであるし、こっちで行った方が良いんじゃないかと思わんでもない。